連載コラム

ヨコハマ創造不動産

「芸術不動産」という言葉の生みの親の一人、建築家佐々木龍郎さんが、不動産を切り口に、まちとクリエイティブとの関係を紹介していきます。

vol.4 横浜にデザインセンターを

横浜の「ものづくり」を活かして、新商品を開発する、というプロジェクト「hamawaza」に関わって感じた、コーディネート能力のある人の不足。その解決のためにも、横浜にデザインセンターを、という構想について議論していきたい。


メイド・イン・ヨコハマプロジェクト「hamawaza」で
クルマのリノベーション

「東大阪が人工衛星を打ち上げるんだから、横浜も思い切ったものやらないとダメだよ」という当時の横浜市経済観光局の担当部長の話を真に受けて、いきなりクルマに取り組むことになった。

横浜の製造業者、消費者、商業者が力を合わせて、ハマのものづくりの技術を活かして新しい商品を開発するとういうメイド・イン・ヨコハマプロジェクト「hamawaza」の第一弾である。最初なんだからバッグとか自転車とかもう少しシンプルなものにすれば良いのに。確かに製造業者として日産の特殊車体などを多く手掛けている高田工業株式会社がメンバーに加わってくれていたのでクルマという流れは自然のようにも感じられたけど、やはり安全大国日本の道路にクルマを走らせることは人工衛生を飛ばすのとは遜色ないぐらい難しい。人工衛星が純粋に技術の問題ということに比較して、既存のシビアな制度や基準に縛られているクルマの方がより難しいとも言える。


横浜発、横浜限定のクルマ「ムエット」
しかし紆余曲折ありながら、日産のキューブをベースにした二人仕様のピックアップビークル「ムエット」(カモメの意)が完成した。BankART Studio NYKで行われた記者発表では当時の中田市長がクルマともに登場し、最終的には約10台を販売するにいたった。

 

この取り組みの新しさは「手持ちのクルマのリノベーション」という仕組みをつくったこと。横浜の企業の「アイディアと技術力」で中古車を「リデザイン・リユース」することにより新しい価値を生み出そうということがそもそものテーマとしてあった。これは建築とも一緒で、一台の車を長く丁寧に使っていくということ、つまり「廃車しないこと」が一番エコであるということ。


「元町」ブランド製のオリジナルグッズ
そしてもう一つの新しさは、専用のグッズ作成に元町商店街のブランドが参画してくれたこと。近澤レースにはキーケース、ショッピングバック、アンブレラケース、クッションを、キタムラには大型旅行カバン、ドライビングシューズ、キーホルダー、ブランケットをこのクルマのためにデザインしていただいた。恐らくそのグッズ一式だけを欲しい人も多かったに違いない。クルマという地域性のないプロダクトと、地域商店街とのコラボレーションは今後のヨコハマのものづくりの一つの萌芽事例として位置付けて良い取り組みである。

デザイナーと企業・商品を結びつける
コーディネーターが足りない

一方で、やはり難しいなと思ったのはデザインの進め方である。日本は基本的にデザイナーが各企業に所属している「インハウス」であることが多く、もちろん社会のニーズを十分に商品に反映していくべく努力はしているものの、企業の中での立ち位置はそれほど恵まれているとは言えない。やはりマーケティングや技術に押されがちである。一方でフリーのデザイナーも、インハウスデザイナーのいる企業に入りこんで、協力しながら魅力的なデザインを実現していく経験や知恵を持ち合わせている人は多くはない。そうなると、必然的に企業と外部デザイナーとの間をマネジメントしていく人材の役割が大切になってくる。デザイナーと企業、デザイナーと商品を結びつけるマネジメントができる人材について言えば、インハウスが主流のこの国では、もちろんこのようなコーディネイト力のある人材はまだまだ少ない。

その状況は何もプロダクトデザインに限ったことではなく、建築の世界でも同様である。この国の建築は個別建て替えが原則だから、建築家が自身をマネジメントしていく状況がかろうじて成り立ってはいるけれど、一方で年間何十万という新築住宅の供給のほとんどがディベロッパー、ハウスメーカー、地元工務店などの手によるもので、そこへの建築家の関与は決して十分とは言い切れない。単体を超えて、都市スケールでなかなか魅力的な空間や景観が整備されていかないのは、やはり建築と都市とをマネジメントする人材が著しく不足していることがその要因の一つである。横浜市は早くから都市デザイン室を設置し、都市と建築とのマネジメントを行ってきたという実績があり、それが今の横浜の都市空間の基礎になっているけれども、これから成熟社会に向かう中でどのような役割を果たせるか、岐路に近づいている。

デザインと社会を結びつける
「アジアデザインマネジメントセンター(ADMC)」構想の実現を

さて僕は、hamawazaと同時期に、森ビルから依頼を受けてデザインセンターの立ち上げに関わっていた。今は少し遅れている北仲地区再開発事業において、容積緩和等のインセンティブを受けるかわりに創造都市に寄与する施設整備を行うことが義務づけられていた。森ビルはやはり保存が求められていた歴史建造物の一部を活用しながらそこにデザインセンターを整備しようと考えていた。デザインセンターと一口に言っても定義はさまざまであり、日本の公的なデザインセンターは名古屋のIdcNや、元SONYの工業デザイナー故黒木靖男氏が所長を勤めていた富山県総合デザインセンターがその走りであり、最近は神戸で歴史建造物を活用したデザイン・クリエイティブセンターKOBEの立ち上げなどが報じられている。一方で民間ベースでは、青山のワコールアートセンター、六本木のAXIS、五反田の東京デザインセンターなど、さまざまな主体・プログラム・規模・形態を持つデザインセンターが運営されている。

横浜の場合は、横浜市の創造都市政策を反映するかたちで民間が運営する組織・施設形態をイメージしていて、アートというよりも産業の活性化という意味で、「デザイン」というテーマを掲げて、現在元気があるとは言い難い横浜のものづくりを再生していくきっかけにしたいと考えていた。そして検討当初の「デザインセンター」という名称は、羽田空港の国際化を見据えて頭に接頭語としての「アジア」がつき、hamawazaなどの経緯を踏まえてマネジメントという言葉を加えて「アジアデザインマネジメントセンター」通称「ADMC」へと変化していった。具体的には先進的なデザインを特徴とする企業のショールームやR&Dオフィス、デザイン関連の書籍が充実したメディアサービス(本屋+ライブラリーのような構成)、個人から小さな規模の法人までを束ねるインキュベートオフィス、横浜の都市デザインの現在過去未来を紹介するアーバンデザインインフォメーション、カフェなど、デザインを軸にさまざまな創造的交流を誘発していく拠点として構想した。


アートもデザインもその核となるのは施設や空間などではなく、あくまでも「人材」である。創造性のある多様な人材が交流している場からしか、ものづくりははじまらない。横浜は創造界隈というキーワードで北仲周辺に多くの人材を集めつつある。その先導は北仲BRICK&WHITEであり、それが本町ビルシゴカイを経て、この10月から宇徳ビルヨンカイへとつながり、またそれ以外の拠点の数も全体的には増えてきている。
一方で単にクリエイティブな人材が集まるだけではものごとははじまらない。クリエイティブな人材を求めているクライアントサイドや社会との結びつきがあってはじめて実現化されていくことになる。その意味で横浜の創造都市の活動は足元がおぼつかいない状況にあり、そのような状況だからこそ「ADMC」を立ち上げなくてはいけない。

現在はサブプライムの影響なども含めて再開発事業自体が大幅に遅れてはいる。あまりにスケジュールが先送りになるようであればクリエイティブシティのセンター機能の一つとして「ADMC」を位置付け、再開発事業者にその行く末を預けるのではなく、公民連携でその実現の可能性を議論していくと良いと思うし、その基礎的な調査は済んでいる。産業としてのものづくりがますます弱体化し、当初掲げていた映像産業の集積も進まない現在において、立ち止まって考えている時間はないと思った方が良い。みんなで走りながら考えていきたい。

著者プロフィール

佐々木龍郎[ささき たつろう](建築家)

1964年東京生まれ。東京都立大学(現首都大学東京)博士課程満期退学後デザインスタジオ建築設計室を経て株式会社佐々木設計事務所。
神奈川大学、京都造形芸術大学、東海大学、東京電機大学、横浜商科大学非常勤講師。横浜市立大学客員研究員。
千代田区景観アドバイザー。横濱まちづくり倶楽部理事。本町ビルシゴカイ住民。
横浜では最近では芸術不動産、海港横浜構想2059などに携わっている。


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