発行日 2011年10月25日

アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈

vol.14

連載コラム
  • Yokohama Creative People
    山野真悟さん・さとうりささんインタビュー
  • VIA YOKOHAMA
    天野 太郎

横浜でクリエイティブな活動をする方々を、インタビューで紹介。クリエイティブの現場の生の声をお届けします。

 

 

第12回:池田修さん(〈新・港村〉ディレクター、BankART1929代表)・曽我部昌史さん(〈新・港村〉空間構成、みかんぐみ)

構成/インタビュー 茂市玲子(QUIET LTD.)
編集/テキスト 平井莉生
写真 高橋宗正

 

新スタジオの一部としてオープンした、新名所・かいだん広場。イベントやワークショップが行われ、夜には映像作品が映し出されるステージにもなり、黄金町のエントランスの役割を果たしている。
新スタジオの一部としてオープンした、新名所・かいだん広場。イベントやワークショップが行われ、夜には映像作品が映し出されるステージにもなり、黄金町のエントランスの役割を果たしている。

 

京急線の黄金町駅と日ノ出町駅を繋ぐ高架下、すぐ近くに大岡川が流れるエリアで行われている〈黄金町バザール2011〉。黄金町は今、約30組の国内外のアーティストが滞在し作品制作を行う、アーティスト・イン・レジデンスのエリアとして賑わいを見せています。ヨコハマトリエンナーレ2011の開催時期と合わせて、「特別連携プログラム」にもなっている〈黄金町バザール2011〉とはどんな催しで、日々現場で何が起きているのか。年々注目を浴びている黄金町ならではの「街」と「アート」の共生をめぐり、ディレクターの山野真悟さんと参加アーティストのさとうりささんに、お話を伺いました。

 

 

今年の方向性をめぐり考えたこと

Q 今年で4度目の黄金町バザール。今年の内容についてお聞かせください。

(山野)今年はやはり、震災があったということが大きかったですね。震災以前は、このエリアをアーティスト・イン・レジデンスの街にしていこうというテーマに絞って考えていました。「さぁ、はじめよう」というところで震災が起きて、一度立ち止まって考えたんです。「街を作る」というのはどういうことなのかということをもう一回ちゃんと考えたいな、と。私がこの街で考えているまちづくりは、他の場所でも応用できるような手法になっているかということも考えたので、今年のバザール自体の方向性をもっと「まちづくり」に根差した方向にシフトしました。

 

Q 具体的にどのようなことが行われたのでしょうか。

(山野)具体的な今年の特徴のひとつは、公募を始めたということですね。これまでは、ほとんどこちらでアーティストを決めてしまって、展示会場と組み合わせて考えていくという方法でやっていたんですけれど、震災以後のアイディアで、公募をやってみようということになりました。公募のアイディアを思いついた当初は被災した人たちが応募してきてくれるかもしれないという思いがあったんですよ。被災して仕事ができなくて制作活動にも取り掛かれない人たちも、こちらからある程度のお金と場所を提供することによって制作する機会が持てるかもしれないな、と考えたんですね。でも、これは僕の大きな間違いでした。逆に、アーティストは簡単に現場を離れないんです。短期間こちらに来た方はいらっしゃいますけれど、いずれは戻っていく。結果、被災地からの応募者はほとんどありませんでした。そういう意味では僕のアテは外れたんだけれど、それまでこの街と全く接点のなかった人たちが、色々なアイディアを持ってきて応募をしてくれました。全部で132件の応募があったなかから、9件選ばせてもらいました。

 

 

集まったアーティストたち

 

Q どのようなアーティストが黄金町に集まっているのでしょうか。

(山野)これまで僕があまりタッチしてこなかった若い世代の面白いアーティストが集まっています。今年は、ゲストで来てくれたアーティストと、公募で集まった若い世代のアーティストたち、それにプラス、元々この地域で活動している人たちの3者の組み合わせになっていますね。作品選びにしても、震災のことを避けては通れないという思いがありましたので、関係するような作品を作っているアーティストはいないかな、ということは考えていたんですよ。震災直後から被災地にボランティアに入った遠藤一郎というアーティストがいて。彼なんかはすぐに僕のところに飛び込んできて、「バスがほしい」と言い出しましたね。

(さとう)遠藤くんは、ボキャブラリーが独特(笑)。バスを手に入れてずっと「やべーよ」、「うれしーよ」と言ってました。

 

(山野)さらに小沢剛くんも、黄金町に来た時に被災地でのエピソードを話してくれました。彼の作品は《ベジタブル・ウェポン》といって、野菜で兵器を形作って、それを写真に撮り、最終的に解体して皆で食べてしまう、という作品なんですけれど、それを福島で作ろうと試みたそうです。その時ちょうど放射能の問題で「食べられる野菜」と「食べられない野菜」のふたつに分けられていて、彼は「食べられる野菜」と「食べられない野菜」でそれぞれひとつずつ作品を作った。その後、「食べられる野菜」で作った方を実際に食べたらしいのですが、食べた後になってそれも食べられない(放射線量が基準値を超えていた)野菜だったという発表があったそうです。そうして作品が成立しなくなってしまったという彼の話が印象に残っていて、作品にならなかったという話を映像か何かで見せられる方法はないだろうか、と彼をかなり説得しました。それが今、黄金町に展示されている重要な作品のひとつですね。
あとは、加藤翼くんが、建物を原寸大で作ってそれを引き興す、というプロジェクトをやってみたいと言っていたんですが、このあたりはどこをとっても建物が小さすぎるんだそうです。1分の1で作っても小さすぎて面白くないということもあって、結局、福島の灯台を作ることになりました。今、彼は福島で作業をしていて、ちょうどパネルになる部分はできてきているそうです。実施するのは、11月3日。3月11日をひっくり返そうということですね。全ての作品が震災に関わったものであるということでは当然ないんですが、全く震災のことに見向きもせずに展覧会が構成されることはありえないな、という気持ちでした。

 




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