


構成/インタビュー 茂市玲子
撮影場所(人物) 新港ピア
新港ふ頭に位置する、新港ピア。2008年に横浜トリエンナーレの会場として開設されたこの場所に、期間限定で〈新・港村〉が誕生しました。建物の内部に一歩足を踏み入れれば、小さな建物が密集する下町地区や文化施設に人々が集まる文教地区、海の見える広場を擁する住宅街などの広大な空間が出現します。村民は、国内外の建築家やアーティストたち。デザイン・制作が行われる仕事場、動物園、飲食店、ブティック、散髪屋では、絶えず人々が働き、日々新たな催しが行われている様子。この〈新・港村〉は、一体なんのために誕生した村なのでしょうか。ディレクターを務めるBankART1929代表の池田修さんと、空間構成をディレクションしたみかんぐみの曽我部昌史さんに、お話を伺いました。
(池田)3.11の出来事がこのプロジェクトに影響を与えたということは事実ですけれど、もともとプロジェクトそのものはもっと前から考えられていて、地震があろうとなかろうとやるプロジェクトでした。原形は、2010年の8月5日くらいにはできあがっていたかな。その時のメモがありますけれど、そんなに大きなブレはないですね。ただ、3.11が与えた影響は大きい、ということは事実です。
(池田)それはなぜ我々がこの新港ピアを使うにいたったかという話をしないといけないですね。
新港ピアは、もともと横浜トリエンナーレで10年間使うという理由で2008年につくった会場。2011年のヨコハマトリエンナーレ(以下、ヨコトリ2011)開催にあたって、新港ピアとBankART Studio NYKと、横浜美術館と3つ使ってやりましょうという話がスタートです。ところが、いろいろありまして、新港ピアはヨコトリ2011では使わないということになったんです。
さて、その前段階の話として、そもそも新港ピアをなぜトリエンナーレの会場として建設したか。それには深い話があって、この展覧会を企画するきっかけになる部分でもあるんだけれど、北沢猛というアーバンデザイナーがおりましてですね。彼は東京大学の都市工学出身で、横浜市のデザイン室長だった人でもあり、「インナーハーバー構想」といって、東京湾を含むところの都市の在り方として、海とどうやるか、河川とどうやるかっていうことにものすごく力を入れた人なんですね。これまでの横浜トリエンナーレの位置をよく見てもらうとわかりますが全て海の一番先端です。最初が横浜赤レンガ倉庫とパシフィコ横浜。次が山下埠頭の一番突端。次が、新港ピア。そこに人にきてもらい、都市を海からみてもらい拡幅していく、豊かにしていくという、恐らくトリエンナーレの10年間の歴史はこうした都市計画の歴史でもあるわけです。彼はこうした思想をもって「創造都市構想」を推進した人ですが、2009年に亡くなる。大袈裟にいえば、彼の忘れ形見みたいなものを僕らは引き受けたいと思ったわけです。
ZONE A(会場はA・B・C・Dの4つのゾーンに分かれている)に張り巡らされた回廊。建物の2階の高さに設置された回廊が、部屋と部屋を繋いでいる。上ると視点が変わり、ゾーン全体を見渡すことができる。
©Toru Yuasa
回廊から見えるブティック「FASHION RE:MAKER」(矢内原充志+ストア+高松太一郎+大友邦子+窪田久美子+ラプカルソン+ニブロールアバウトストリート) 。その場で古着を加工し、販売している。
©Toru Yuasa
ZONE Aのある路地は竹林になっている。この竹林は、さまざまなかたちで音を奏でるオブジェを作る造形作家・松本秋則の作品。風に揺らいでいるかのように竹林がざわめく。
©Toru Yuasa
(池田)構想ってほどのものでもないけどね。横浜トリエンナーレの時期にぼくらがやってきたのは、BankART LIife I、II、そして今度がIIIなんです。位置づけとしては、日頃やっていることを集約して、3か月間コンパクトにして見せるということですね。新しいことをやるっていう考え方じゃないですよ。総括編で。3年間勉強したことを卒業論文に集約するっていう考え方なんで。そのなかでとりわけやっていたのが、2年間、文化庁と組んで、世界中と日本中のアートイニシアティブ、まあ我々みたいな組織と繋がり、会議とか本づくりとかをやっていたんです。調査と出版をやっていたので、多くの世界中のアートイニシアティブの人たちを招いたり、訪ねたりということがあったんです。その2年では小さな会議くらいしかできなかったんだけど、もう少しきちんと関係をつくれないかなと考えていました。横浜にも創造拠点がいろいろできていて、いくつか僕らが誘致したり、サポートをしているのがあるんですけれど、人が来て、働いて、アクティビティを活性化したほうが、面白いぞという発想があって。それで、〈新・港村〉も普通に展覧会をするよりも「人が働く場所」がをつくりたいなと。BankARTは日常的な展覧会やイベントも一生懸命ですが、人が来て働きたいという環境づくりをこの8年間行なってきた。その象徴、集大成として、〈新・港村〉があるわけです。